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何者かになりたいとあがく人のブログ

『ひきこもり特集』のNPOは引きこもり支援ではなく、引きこもりの両親支援なんじゃないのかなって。

こういうのが今になって話題になってるようで。

放送自体は少し前だったから、今になって燃えるとは思わなかった。

togetter.com

 

ツイートまとめと、それに対するブコメを読んだのをまとめると

  • 暴力的で強引すぎる
  • 引きこもりをする当事者への配慮がなさすぎる

ってのがおおよその内容かなぁと。

 

私はこのTV放送自体をリアルタイムで視聴したのだけれど、私が抱いた感想は単純に『両親がいてなんでこーなってしまったんだ」っていうことなんですよね。

 

この番組で取り上げられた引きこもり例はかなり状況が悪化してしまっている例なのではないかと思っていて、引きこもりが「自宅への引きこもり」というよりも「自室への引きこもり」「自身の殻への引きこもり」になっている点で顕著かなと思ったわけです。

 

要するに、両親との隔絶が起こってしまっていて、社会からの逃避だけではなく、家族からの逃避にまで事態が及んでしまっているということです。その結果、家の中にとどまらず部屋から何年も出てこないだとか、すぐに両親に怒鳴り散らすとか暴力を振るうだとか、家がゴミ屋敷になってしまって、両親の側が老人ホームに退避する。といった結果になってしまっているんですね。

 

被害者は一人ではないという構図

 

これはもう単純に社会 対 引きこもりという構図では片付けられなくなっていて、その中で家族 対 引きこもりという構図も見て取れるわけです。

 

社会 対 引きこもりであれば、おおよそ社会(という抽象的なシステム)が加害者であり、引きこもり(という個人)は被害者という見なし方が可能です。

 

だけれども、そこから一歩進んで事態が家族(両親という個人) 対 引きこもり (という個人)という構図になってしまうと、どっちが加害者でどっちが被害者なのかなんて簡単に言い切れなくなってしまっているんですね。どっちも辛いし、どっちも苦しいわけです。実際に番組内では両親は引きこもりの息子に対して怯えている様子も映しだされていますし、ある父親は老人ホームへ逃避までしてしまっています。

 

引きこもりだけではなく、その両親にも支援が必要。

話が最初に戻って、『両親がいてなんでこーなってしまったんだ」というわけなんですけど、両親はうまく子供のケアができなかったんですよね。社会で挫折してしまって、引きこもってしまった息子を家庭内で支援できなかったんですよ。

 

今はどうか分かりませんが、誰だって子供の頃、親にゲンコツをくらったり、何時間も説教うけたり、小遣い減らされたりとしたことはあると思うんですよね。

 

僕も子供の頃、学校で部活の先輩にイジメられて、登校拒否一歩手前まで追い詰められたことはあるんですが、正直にそのことを両親に告白すると、母親は「そんなに辛いならまずは今日は学校を休みなさい」と優しく受け入れてくれました。一方で父親は「いじめになんぞ負けて学校休みたいとかなにしょぼっくれたこと言ってんだ!」と激怒して結果として母親の説得?話し合いの末、今日だけは休んでもいいけど明日からはまた学校へ行きなさいと。

 

実際に学校を休んだのは本当に一日だったんですが、でも両親はそのたった一日の間に担任や学校に相談をしてすぐにイジメを解決するために動いてくれていました。

 

他にも僕が受験勉強で悩んでもう受験とかだめだーと嘆いたときには父親は「努力する気がないなら受験なんてやめちまえ!そんなやつに高校へ行く資格なんてない!高校もやめちまえ!」とぶん殴られるなんてこともありましたが、母親は「今よりどんなに遠くても高くなってもいいから、行きたい予備校や欲しい教材があるなら遠慮せずになんでも相談しなさい」と言ってもらったこともありました。

 

私の中では父親はあれだけど母親にはお世話になったね。という話ではなくて、怒鳴り散らすけれど、常にきっぱりと私に厳しく接してくれた父親と、その一方で私に辛抱強く支援する姿勢を示し続けてくれた母親両方のバランスあってのものだなぁと思ったものです。あぁそれと結局、受験は成功しました。

 

要するになにが言いたいかっていうと、番組内での両親はもう一種のネグレクトを起こしていると思うんですよね。

ここで批判されているNPOって社会的なモラルや法律的な問題はあれど、引きこもりの両親からは感謝している風に見えたんですよね。だって両親は「もう私たちにもどうにもできないから、代わりになんとかしてくれ」っていう、率直に言うと両親の責任をNPOに代行して欲しいって言ってるんですから。

 

だからこのNPOって引きこもりのために働いているというよりも、引きこもりの(責任をある種放棄してしまった)両親のために働いているんだろうなと。

 

学校の先生といえど教え子にゲンコツかましたり、何時間も立たせて説教したり、罰としてグラウンド走っとれ!なんてすると体罰だのなんだのと言われる時代ではありますが、両親が家庭内で子供に対してする分にはもうそれは家庭の問題だと思うんです。必要なときだってあると思うんです。

 

でもそんな責任を両親が放棄してしまった、諦めてしまった時にはどうすればいいか?という答えがこういうNPOの存在に象徴されているのではないかなぁと思ったわけであります。