PSVRはiPhone3G(S)かもしれない。
PS VRを購入しました。
発売初日に何十万台にもなる。と言っていますが、iPhoneと比べると心もとない数字ですね。
iPhoneがどのくらいの初動で販売してきたかを調べてみた | 引越しラクっとNAVI
とはいえiPhone3G/3GSは3日間でグローバル販売台数100万台なので、とはいえPSVRは生産が追いついていないという話なので、仮に本当に欲しい人皆の手に渡れば、同じくらいの数字には達したのでしょうか?
なのですがPS VRを家庭の中で、ソファに座ってリラックスした状態で好きなだけ楽しめる。というのはやっぱりデモとは事情が違いますね。実際にハードとお金を払って体験するわけですから、これって値段としてどうなの?今後の可能性は?色々と思うところがありました。そちらをこれから皆さんにレポートしたいなと思っています。
PS VRを含めて、HMDは今後普及するのか?
という話がありますが、これは断言できます。普及します。
理由は明白で、「体験が圧倒的で革新的」だからです。
これはSIEの方がよく、「体験しないと分からない」と仰っていますが、これは逆に言えば「体験すれば分かる」ということです。むしろこれを言い切れる体験やコンテンツってほとんどないんですよね。
スマートフォンで例えましょう。
僕はiPhone3G発売当時、店頭でホットモック(実機)を触りましたが、購入はしませんでした。
iPhone3GSが発売してしばらくして、僕は3GSを購入しましたが、それは僕がiPhone3GSに可能性を感じたというより、そろそろ買っとかないとなぁという無根拠なアーリーアダプター感からでした。当時も店頭でデフォルトアプリとAppStoreでリリースされているアプリの中からチョイスされたいくつかのデモアプリを触っただけだと、その場で「これはすごい!」という感覚には至りませんでした。
これはiPhone7となった今でも変わってはいません。
おそらく当時3GSを持っていなかった人々に突如スペックが爆上がりしたiPhone7を渡したとしてもカメラとディスプレイの美しさを除いては「で?」としか言われなかったと思います。これはなぜかというと、iPhoneやスマホの凄さや革新性を肌感覚で理解することは店頭で数分触っただけでは無理だからです。
一方でHMD、PS VRは違います。
おもむろにPS VRを装着して、オタクなら初音ミク、女性なら例えば刀剣乱舞やL'Arc~en~Cielのコンテンツを起動すれば、10秒で「うわっ、すごい」と一瞬で理解できます。それくらいに革新的で直感的な体験なのです。
ゲームにこれまで抵抗のあった人がWiiをプレイしているのを見て、Wiiリモコンを「ちょっと私にもやらせてみて」という感覚とも近いかもしれません。
PSVRはiPhone3G(S)かもしれない。
いきなりズバッとした物言いですが、僕はそう感じています。
VRとは一般的に仮想現実と訳されますが、仮想的でありつつ、現実的であるということです。
VRの画素数は正直なところ、非常にチープで場合によってはドットの粒感が分かってしまいます。このドット感がVRのリアリティを損なっていると感じました。
これはiPhone3G/3GSが非Retinaディスプレイだった感覚と非常に近いです。いやいや、お前は当時3Gと3GSの画質が悪いとか思わなかっただろう!と指摘があると思いますが、その通りです。ですがiPhone4が発売された当時、多くの人がこう言っていました。「Retinaを体験するともう非Retinaには戻れない」まさにこの通りで、僕たちはRetinaの高精細ディスプレイの体験に慣れてしまっているのです。
それがPS VRのような超没入型の体験であればなおさらです。
VR体験にはこれからも様々なノウハウが蓄積され、加速度的にその体験性を向上させていくとは思いますが、画質についてはハードレベルでの進歩が不可欠です。
酔い対策が視野角の制約に直結しており、VRのキャパをフルに活かせていない。
今後画質が向上したり、fpsが向上することで「酔い」の誘発自体が少なくなる可能性もありますが、そちらもハードレベルでの進歩が必要になるので、その時に視野角も合わせたスペック向上を図ればいいだけの問題です。
DayDreamについて
PS VRを購入するまでは、DayDream、つまりスマホVRが普及を担うブレイクスルーの鍵になるとお思っていました。が、それはまだまだ先になりそうです。というのはPS VRのような据え置きゲームハードにプロセッサーユニットを加えたPS VRの体験が未だ発展途上の感を拭えないからです。
ただし、スマホVR用のアタッチメントデバイスについては特に問題なく受け入れられると思います。理由は単純で、アタッチメントデバイスが自撮り棒とくらべて、なにがそこまで突飛なのだ?というのが私の感想です。またスマホVRはその特性上、ポータブルなので、VRのような画期的な体験は、それを持つ人が積極的に外で友人や知り合いに装着を促すことになるだろうということです。
自撮り棒の普及は、自撮り棒による撮影を体験した人が「あっこれいい!私もこれ欲しい」という連鎖によるものです。未だに自撮り棒を否定する人は、自撮り棒でみんなで撮影したことがないのでしょうね。
VRの発展と共に歩みたければPS VRを買おう
とはいえ、どれもこれも時間が解決してくれる(であろう)問題です。今後2~3年置きに発表されるであろう後継機によって少しずつ、あるいはそのほとんどが解決されるでしょう。
VR業界はまだ始まったばかりです。幸運にもPS VRはコンテンツの供給には苦労しそうにありません。PS VRを買うことで、業界の発展と共に楽しみながら自身の知見とセンスを育んでいければと思います。
「降りたら死ぬ」と思ってる人は、死ぬ前に「起業」って別レールに乗り換えよう
ポケモンGoを3日間遊んでみて考えた改善アイデア
ポケモンGoをリリースしてからちょうど休日だったのもありしっかり遊んでみました。
私は恋人と一緒に遊んでみたのですが、ゲームにそれほど詳しくない恋人がポケモンGoをしながらキャッキャしてる様子を見るに、とんでもないIPだなぁと改めて実感しました。
普段はスマホーゲーム(ソシャゲに限らず)一切の興味を持たない友人も、一人だとつまらないと言いながら、LINEで「フシギダネかわいいな」とか「ドードーしか出ないんだけど?」とかちらほら連絡が来るのも任天堂の狙いどおり、従来の方法ではリーチ出来なかった層にしっかりリーチできているなぁと。
こちらの他、既にいくつか界隈でご指摘などされてる方もいらっしゃるようなのですが
、私もポケモンGoをプレイしている中で、仕事でアプリ設計に従事している身としていくつかここをこうしたらいいんじゃないか?とか、こういうアイデアはどうよ?と浮かんだものがあるので列挙してみました。
※はてブでご意見ご感想待ってます。
1.長期におけるゴール設定について
ポケモンGOの最大の課題は「中期ゴールの欠如」で、これが原因で1〜2週間すると一気に離脱率が高まると思われ。短期ゴールとして「目の前のポケモン捕獲」、長期ゴールとして「ポケモンコンプ」があるが、数日〜数週間サイクルの中期ゴール要素がないので、一般人はレベル10ぐらいからダレる。
— Takayuki Fukatsu (@fladdict) 2016年7月25日
@fladdict そんへんを、ジム争奪戦で解決したかったのだろうけど、ジム戦は設計間違って廃人頂上決戦としてしかワークしてないので、中期ゴールが空っぽなのが痛い。数週間いないに中期ゴールをアップデートで組み込めるかどうかで、離脱率が大幅に変わりそう。
— Takayuki Fukatsu (@fladdict) 2016年7月25日
こちらは上記に掲載したまとめの中にもある一連のツイートからの引用になりますが、
私の感覚ではゴール設定の捉え方に違いがあります。
ポケモンGoはIngressを開発したNiantic,Inc.の知見を活かしたゲームであることは明白で、ゲームデザイン的にも長期的なゴールこそ「ジム争奪戦」として設定していると思います。
そもそもIngressというゲームは「ソーシャルな陣取り団体競技」として設計されており、長期ゴールというよりも、競技としての普遍的なルールです。普遍的な、と書いたのはIngressはあるタイミングで勝敗が決するゲームセットのタイミングが存在しないので、365日24時間ぶっ通しでこの陣取りゲームが行われているんですね。
ポケモンGoのジム争奪戦についても同じことが言えて、◯月◯日にこのジムは永久に◯チーム、◯さんのものになります。というものではないので、基本的にはずっとこの争奪戦は続きます。なのでプレイヤーの多くが151匹コンプリートしようが、レベルMaxの最強ポケモンを育成しようが、トレーナーLvがLvキャップ上限まで到達しようが、この構図はなくならないのです。
多くのプレイヤーが最強ポケモン達を保有し始めたら勝敗つかなくなるだろう?という点については、それぞれのポケモンに属性、所有する技の属性や優劣が設定されている上、ジムに配置できるポケモンの数にも制限があるので、ここの流動性は既にゲームデザインとして担保されています。(LvMaxのファイヤーでも、LvMaxでないフリーザーに負ける可能性は高いと思われます)
2.ゴール設定の個人的、団体的それぞれの区分について
そもそもゴール設定の切り分けとして、短中長期だけではなくて個人として、団体としての区別も必要かなと思います。というのはポケモンGoはトレーナーLvが5に到達した時点でジム争奪戦への参加が可能になりますが、その際に3つの陣営(赤・青・黄)のどこに所属するかを決めるからです。
ジム争奪戦は個人としてプレイするよりもまず、どの陣営の一人として戦うのか?があるので、これは団体としてのゴールを目指したプレイになります。(もちろん個人としてジム戦を楽しむことも不可能ではありませんが、自分と同色の陣営のジムでは挑戦ではなく訓練という形でポケモンバトルを行うことになるのでジム争奪戦という構図ではなくなってしまいます。)
個人としてのゴール設定は、長期ではポケモンコンプリートがあるのは間違いないですが、ここは明確に個人と団体とを切り分けて区別すべきかなと思います。
3.トレード機能について
既に今後のアップデートの方針としてトレード機能とポータルの複数機能化が名言されていますが、クリティカルに中期ゴールの欠如の問題を解決しているとは思えません。
ポケモンのトレードについては現状、レアポケモンとあちこちで出現するポケモン(ここではコモンポケモンとします)の差と種類について大きな開きがあるので、「俺のコモンポケモンとレアポケモントレードしてくれ。」みたいなプレイングが頻繁に成立するかと言われると怪しいと思います。
ちなみにβテスト時にはトレード機能は既に実装済だったようですが、GPSで近くにいるトレーナー同士という制約があったようです。この制約はレアポケモンを餌にした転売などの原因になるので、正式実装時にも残した方がいいとは思います。
現実的に考えられるトレード機能の活用法としては、俺は早くヒトカゲをリザードンまで進化させたいからヒトカゲくれ。その代わり俺は君にフシギダネをあげる。というパターンです。これであればお互いにメリットを享受しつつ、育成の効率化も可能です。育成の効率化はゲーム寿命を縮めることにもつながるので、この点はゲームのレベルデザインとの兼ね合いで慎重なマネジメントが必要になってきます。
もう一つ、考えられるトレード機能の活用法はトレードに伴う進化機能です。ポケモンは初代赤緑版のゲームから通信ケーブルを用いた交換で、ユンゲラーがフーディンに進化したり、ゴーリキーがカリイキーに進化したりしたのですが、こちらもポケモンGoで再現することが可能です。とはいえこちらはただトレード機能で送りつけて、返してもらえば済むだけなので中期目標を埋められたり、ゲーム寿命を延ばしたり、離脱率を低下させるような効果は望めないでしょう。
4.中期ゴールの欠如を解決するアイデア
やっとこさ本題の中期ゴールを解決するアイデアについてなんですが具体的には以下になります。
- 赤/青/黄陣営ごとに出現するポケモンを変える
これも初代から実現されている機能ですが、陣営ごとに出現するポケモンを変えることで、トレード機能の活性化を行えますし、今の課金による「おこう、ルアーモジュール」の使用有無に限らずに「あっ俺は◯◯でた」「俺はでない。あっ俺黄色だからか」といったプレイ体験の活性化、ポケモンあるあるの演出強化にも繋がるかと思います。
特にポケモンコンプリートというゴール設定は、どうしてもプレイ中期からレアポケモン出ない〜問題と不可分になってしまうので、そうではなくてプレイ初期の段階から明確に出現するポケモンに区別を付けることで、コモンポケモンの中でも自力で捕獲できるものとそうでないもの、それを埋めるためのトレード機能という位置づけでゲーム体験をよりリッチにできるのではないかと思います。
- CPUポケモンバトル
ポケモンはIngressと違って明確に原典を辿れるIPなので、団体競技としての陣取りゲームよりも先に、個人としてのRPGゲームとしてのプレイング体験が必要です。(プレイヤーは求めている。と言ってもいいと思います。)
具体的には野生のポケモンが出現するだけではなくて、CPUのポケモントレーナーが出現したり、(アプリを起動して歩いているなど具体的なポケモンGoのプレイング中に)ランダムエンカウントでCPUポケモントレーナーからのバトル挑戦があったりといった演出が必要だと思います。
現時点ではジム争奪戦がヘヴィーユーザーによるエンドコンテンツ化(ヘヴィーユーザーだけが楽しめるコンテンツ)しており、なおかつチュートリアルの意図的な少なさが拍車をかけてポケモンバトルが多くのユーザーにとって楽しめるものとして受け入れられていないので、CPU戦などを通してポケモンバトルのコンテンツをしっかりとライトなユーザーにも届ける必要があると思います。
ポケモンバトルはそれ自体がコンテンツとしておもしろいのでワークするとは思いますが、経験値に加えて少量のポケコインやランダムでおこうやルアーモジュール、たまごといったアイテムをドロップさせることをインセンティブとして設定してもいいかもしれません。
5.他ゲーム性を深めるアイデア
他には中期ゴールやプレイヤーの離脱率を明確に改善するものではありませんが、ゲーム性をより強化するためのアイデアとしてこんなのを考えてみました。
- ♂♀要素とカップリング
初代を除くポケモンにはほとんどのポケモンにオス♂とメス♀の性別が設定されています。捕獲できるポケモンに性別を加えることで、♂と♀のポケモン所有者・トレーナーがカップリングを行うことでたまごを生むことができる。という機能もあっていいかもしれません。
機能としてはカップリング設定を行ったトレーナーが一定距離内で定められた距離を歩くとたまごを生むとか、トレーナーが互いに定められた距離数を歩くとたまごがかえる。といったように「一緒に外に出かけよう」「ポケモンGoしに出よう」といったアクションを促すきっかけとして作用するかもしれません。
どうでしょうか?
※はてブでご意見ご感想待ってます。
『ひきこもり特集』のNPOは引きこもり支援ではなく、引きこもりの両親支援なんじゃないのかなって。
こういうのが今になって話題になってるようで。
放送自体は少し前だったから、今になって燃えるとは思わなかった。
ツイートまとめと、それに対するブコメを読んだのをまとめると
- 暴力的で強引すぎる
- 引きこもりをする当事者への配慮がなさすぎる
ってのがおおよその内容かなぁと。
私はこのTV放送自体をリアルタイムで視聴したのだけれど、私が抱いた感想は単純に『両親がいてなんでこーなってしまったんだ」っていうことなんですよね。
この番組で取り上げられた引きこもり例はかなり状況が悪化してしまっている例なのではないかと思っていて、引きこもりが「自宅への引きこもり」というよりも「自室への引きこもり」「自身の殻への引きこもり」になっている点で顕著かなと思ったわけです。
要するに、両親との隔絶が起こってしまっていて、社会からの逃避だけではなく、家族からの逃避にまで事態が及んでしまっているということです。その結果、家の中にとどまらず部屋から何年も出てこないだとか、すぐに両親に怒鳴り散らすとか暴力を振るうだとか、家がゴミ屋敷になってしまって、両親の側が老人ホームに退避する。といった結果になってしまっているんですね。
被害者は一人ではないという構図
これはもう単純に社会 対 引きこもりという構図では片付けられなくなっていて、その中で家族 対 引きこもりという構図も見て取れるわけです。
社会 対 引きこもりであれば、おおよそ社会(という抽象的なシステム)が加害者であり、引きこもり(という個人)は被害者という見なし方が可能です。
だけれども、そこから一歩進んで事態が家族(両親という個人) 対 引きこもり (という個人)という構図になってしまうと、どっちが加害者でどっちが被害者なのかなんて簡単に言い切れなくなってしまっているんですね。どっちも辛いし、どっちも苦しいわけです。実際に番組内では両親は引きこもりの息子に対して怯えている様子も映しだされていますし、ある父親は老人ホームへ逃避までしてしまっています。
引きこもりだけではなく、その両親にも支援が必要。
話が最初に戻って、『両親がいてなんでこーなってしまったんだ」というわけなんですけど、両親はうまく子供のケアができなかったんですよね。社会で挫折してしまって、引きこもってしまった息子を家庭内で支援できなかったんですよ。
今はどうか分かりませんが、誰だって子供の頃、親にゲンコツをくらったり、何時間も説教うけたり、小遣い減らされたりとしたことはあると思うんですよね。
僕も子供の頃、学校で部活の先輩にイジメられて、登校拒否一歩手前まで追い詰められたことはあるんですが、正直にそのことを両親に告白すると、母親は「そんなに辛いならまずは今日は学校を休みなさい」と優しく受け入れてくれました。一方で父親は「いじめになんぞ負けて学校休みたいとかなにしょぼっくれたこと言ってんだ!」と激怒して結果として母親の説得?話し合いの末、今日だけは休んでもいいけど明日からはまた学校へ行きなさいと。
実際に学校を休んだのは本当に一日だったんですが、でも両親はそのたった一日の間に担任や学校に相談をしてすぐにイジメを解決するために動いてくれていました。
他にも僕が受験勉強で悩んでもう受験とかだめだーと嘆いたときには父親は「努力する気がないなら受験なんてやめちまえ!そんなやつに高校へ行く資格なんてない!高校もやめちまえ!」とぶん殴られるなんてこともありましたが、母親は「今よりどんなに遠くても高くなってもいいから、行きたい予備校や欲しい教材があるなら遠慮せずになんでも相談しなさい」と言ってもらったこともありました。
私の中では父親はあれだけど母親にはお世話になったね。という話ではなくて、怒鳴り散らすけれど、常にきっぱりと私に厳しく接してくれた父親と、その一方で私に辛抱強く支援する姿勢を示し続けてくれた母親両方のバランスあってのものだなぁと思ったものです。あぁそれと結局、受験は成功しました。
要するになにが言いたいかっていうと、番組内での両親はもう一種のネグレクトを起こしていると思うんですよね。
ここで批判されているNPOって社会的なモラルや法律的な問題はあれど、引きこもりの両親からは感謝している風に見えたんですよね。だって両親は「もう私たちにもどうにもできないから、代わりになんとかしてくれ」っていう、率直に言うと両親の責任をNPOに代行して欲しいって言ってるんですから。
だからこのNPOって引きこもりのために働いているというよりも、引きこもりの(責任をある種放棄してしまった)両親のために働いているんだろうなと。
学校の先生といえど教え子にゲンコツかましたり、何時間も立たせて説教したり、罰としてグラウンド走っとれ!なんてすると体罰だのなんだのと言われる時代ではありますが、両親が家庭内で子供に対してする分にはもうそれは家庭の問題だと思うんです。必要なときだってあると思うんです。
でもそんな責任を両親が放棄してしまった、諦めてしまった時にはどうすればいいか?という答えがこういうNPOの存在に象徴されているのではないかなぁと思ったわけであります。
起業より険しい道がある。『孤高の人』は起業家にこそ読んで欲しい漫画だと思う。
起業をするということは、絶望と恐怖を振りまく悪魔と契約をすることであると僕は思っている。
もちろん、そうさせたのは自分の意思であるから、その全責任は自分にある。だとしてもそれで納得、しょうがないとは中々いかないものだ。
実際に成功した多くの起業家エピソードは、インタビュー記事を読むだけではなかなかどうして華やかでクールなストーリーだが、実際には誰しもいくらかの絶望を乗り越えてそこに至ったのだ。
かくして、普通の人間なら(悪魔と契約するなんでまっぴらだ。と考える常識的な価値観を持っている人なら)とっくにぶっ壊れているような絶望と恐怖と常に向き合いながら起業家は毎日を過ごしている。と起業家たちは思っているはずだ。
『孤高の人』という漫画を読んだ時、僕は起業家にとってささやかなプレゼント(鎮静剤)を見つけた気分になった。
『孤高の人』坂本眞一 (著), 鍋田吉郎 (著), 新田次郎 (著)
とりあえずあらすじを引用すると、
孤独な青年・森文太郎は転校初日、同じクラスの宮本にけしかけられ校舎をよじ登ることに。一歩間違えば死んだかもしれない、だが成し遂げた瞬間の充実感は、今までになかった「生きている」ことを確かに実感するもの…。文太郎はクライミングへの気持ちを加速させはじめた――!!
一言で説明すると、人類未踏のK2東壁を登るという夢を、あらゆるものをかなぐり捨てながら追いかける物語だ。
あらゆるものをかなぐり捨てながらとは、文字通りの意味だ。
僕は『孤高の人』の序盤を読みながら共感を覚えた。
夢を目指す人なら誰しも経験する、その他大勢とは違う道を行く決断や、あえて苦しく辛い道を選ぶ覚悟。起業家の多くが経験する仲間との離別や信じていた人からの裏切り。
そのすべてがこの漫画にはある。登山にはあるんだなと。
でもそんな甘い共感は物語中盤から吹き飛んでしまった。
常に死と隣りあわせという状況。
事実、K2やエベレストという世界でも難関と呼ばれる山々にはいくつもの遺体がそのままの姿で放置されているという。標高8000メートル級の高山では遺体は腐敗しないのだ。エベレストでは200人以上の登山者が命を落とし、今も150人近くの遺体が放置されているというから驚きだ。彼らの遺体は登山者のランドマークなのだという。
起業家の絶望は、直接的な死とは無縁だ。(間接的な死はあるかもしれないが)
だから僕は『孤高の人』を読みながら、登山が起業よりはるかに大きな絶望や恐怖を強いられる行為なのだと感じた。
『孤高の人』で描かれる覚悟や恐怖、絶望をここで書ききるなんて、どうやってもできないことだと思うので、これ以上の説明は無駄というものだ。
ぜひ自分が険しい道を歩む中で、恐怖や絶望と向き合うことに疲れたなら、『孤高の人』を手にとって、自分を奮い立たせて欲しい。